テクノルアイスパーク八戸の向いにある「Hockey Shop NEEDA」
ご自身もホッケー選手としてキャリアを歩んできた長根さんがオーナーを務める
東北唯一のアイスホッケー専門店だ。
店舗にはホッケーを始めたばかりの小学生から素人ホッケーを楽しむ高齢者まで
様々なお客様が県内外から足を運んでいる。
長根さんは店舗経営の傍ら地域のホッケーチームの監督として子たちの育成、
八戸学院大ホッケーチームのコーチ等、指導にもあたっているという。
取材前、アイスホッケーの知識は0に等しく
昔キムタクのドラマで見て坂口憲二がかっこよかったなぁという印象レベルの私が
取材相手になれるのだろうかとやや不安なところもあったのだが、
アイスホッケーと共にある長根さんの人生はスポーツ好きな方にもそうでない方にも
ぜひ知っていただきたいものだったのでぜひ、ご一読下さい。
アイスホッケーとの衝撃的な出会い。
長根さんがアイスホッケーを知ったのは小5の時。長野オリンピックで開催された試合で初めてアイスホッケーという競技を知り、衝撃を受けた。「当時バスケ部だった自分は、パワープレーに走りがちで、5回ファールで退場する、なんてこともしょっちゅうでした(笑)そんな自分にとってアイスホッケーはとてもかっこよく見えたんです。」
それからすぐに地域のチーム「ホワイトベア」に参加。ところが、当時スケートを滑ることもできなかった長根少年はリンク上で「ガタイがでかいだけで邪魔だ!」なんて言われることもあったそう。「周りは幼稚園から始めているような子たちばかりで、本当に悔しくて。それからは毎日リンクに通い、5年生のうちにスタメンに選ばれるまでになりました。」
スケートを一人前に滑られるようになるにも普通は苦労することだろう。持前の負けん気でとにかくホッケーにのめりこむ少年の姿が目に浮かぶようだった。
越境入学をした中学生時代、そして高校へ。
中学校は学区内の学校にホッケー部がなかったため、ホッケーのある中学校へと住所を移し「越境入学」したそうだ。競技人口の少ないスポーツを真剣に取り組もうとするとこのようなことは他の競技でも起きるのだろう。越境入学に協力するほどなので、親御さんも献身的にサポートしたに違いない。
その後進学した高校は仙台の東北高校。東北随一のスポーツ高だ。「やるからには日本代表を目指そうと思い、実際に代表選考会に呼ばれることもありました。」高校から親元を離れて寮生活。そこはまさに「ザ・体育会系」の世界だった。
「自分の寮はホッケー部の他バスケ部・柔道部員が暮らしていて、先輩の言うことは絶対。1年生の時は本当に大変でしたね(笑)」厳しい上下関係の寮生活に寮母さんはおらず、下級生が炊事や洗濯、掃除などを一手に引き受ける生活の中だったという。基本的なことを一通り出来るのは当然のことで「A先輩の服はきっちりたたむ」「B先輩はこのかごにそのまま入れておく」「C先輩のお風呂は〇度で沸かす」といった、各先輩の好みや要望を事細かに把握しなければいけなかったという。(もし私がそんなに細かい要望をしてくる旦那を持っていたら、絶対無理だ!!)
そんな体育会系の世界に身を置きながら、ホッケーの技術と共に、着実に家事レベルを上げた長根さん。
苦楽を共にした寮生活を一緒に過ごした仲間とは、
部活の垣根を越えて今も定期的に集まっているという。
部活の同期とつながり続けるということはよくあると思うが、
部を超えた仲間たちとつながり合えるというのは本当に素敵だなぁと思った。
高校卒業後は、中央大学へ。
大学進学の際には複数の強豪校からスカウトの声がかった。その中の1つが当時勢いがあった中央大学だった。
東北高校ホッケー部に中央大学から声がかかったのは長根さんが初めてで、「中大に進学して実績を作ってくれ」という当時の監督からの期待もあり、中央大学に進学した。そこで今のホッケーショップ経営につながるキーマンと出会うことになる。
それが、1年生当時4年のキャプテンを通じ知り合いになったGさんだ。Gさんは他県でホッケーショップを経営しており、長根さんのホッケーに対する姿勢を評価してくださっていた。Gさんは数年後に2号店を八戸に出店し、その店の店長として長根さんを迎えたのだ。中学生時代から「ホッケー専門店を開きたい」と考えていた長根さんにとって、この話が今の道につながるきっかけの1つとなった。
社会人となっても、現役選手としてのキャリアは続いた。
大学卒業後はホッケーの先輩からの声掛けもあり地元八戸でスポーツ施設の運営やスポーツイベント企画を担うエスプロモ株式会社に入社した。エスプロモで会社員として働きながら、吉田産業の社会人チームにも籍を置き外部選手としてリンクに立ち続けた。選手として引退したのは昨年の話だ。現役選手としてのキャリアは33歳まで続いた。
引退を決めたのは、有志の仲間たちと総合型地域スポーツクラブ「Hachinohe Club」を立ち上げる決心をしたことだったという。自身が選手として活動することから離れ、子どもたちの育成へとシフトしていくことを決めた。(Hachinohe Clubについては後述)
一方、エスプロモでもその後のホッケーショップ経営へとつながるキーマンとの出会いもあった。それが当時上司だった下田さんだ。下田さんは柔軟な発想の持ち主で、長根さんと共に様々なイベント企画に取り組んだ。仕事をする中でも一緒に行動することも多く、そんな中でよく「将来やりたいこと」について語り合った。幼いころから「なぜホッケーショップが八戸にないんだろう?」と思っていた長根さんは幼い頃からずっとホッケー専門店を経営したい、という夢を持っていた。下田さんと語る中でその夢はいつしか具体的な目標に代わり、長根さんは少しずつ必要資金の計算や計画立て等を周囲に相談し始めるようになった。その矢先、Gさんから八戸での2店舗目の経営を任される話が舞い込み、エスプロモを退社しGさんの店を結果的には譲渡する形で「HOCKEY SHOP NEEDA」がオープンした。
400名を超える「研磨カード」。全員の顔、分かります。
HOCKEY SHOP NEEDAでは、スケート靴やスティックといったホッケーのアイテムを購入できるだけでなく、「研磨機」があり、スケート靴のエッジを研ぐことができる。
スケート靴のエッジは氷との摩擦で削られ、徐々に滑りづらくなってしまうらしい。長根さんは2週間に1度ほどのペースで研磨することを勧めている。この研磨機は日本に5台ほどしかなく、使い方もある師匠からみっちり指導を受けマスターしたとのこと。お客様一人ひとりの癖や成長度合いに応じて研ぎ方も変える。
そんなお客様の研磨回数はポイントカードで管理している。
400名それぞれの情報が記載してあり、店舗で大切に保管されている。お客様一人ひとりを丁寧に把握し、研磨を施している。
中にはホッケーをする子どもを持つ親御さんが1人で来店することもあるらしいが、そんな親御さんへ長根さんは「今度からはお子さんも一緒に来てほしい」と伝えることもあるそうだ。たとえ小学生だとしても、自分の道具は自分で管理して、道具の扱い方も覚えてほしい、そんな想いからだ。研磨カードはお客様と長根さんの絆のようだ。研磨のサポートを通じ、アイスホッケーを含めたその子の成長をサポートしているのだなと感じた。
研磨だけではない。Hockey Shop NEEDAには様々なホッケーグッズが販売されている。
例えばスティック1本でも、その子の身長や成長に合わせてカットする。
成長期を迎えている子どもたちの成長スピードに合わせたアイテムの提案をしている。
それに加え、長根さんは試合に足を運び、選手たちをよく見ている。
試合での動きを見ながら、「この子にはこのメーカーのものが合う」といったアドバイスや、
「これだけ動けるようになってきたから、このレベルのものを使ってみては」といった実力に合わせたアイテム提案を行っている。
ホッケー選手としての成長を、親でもなく、監督やコーチでもない立場から見守っている。
総合地域型スポーツクラブ「Hachinohe Club」の立ち上げへ
長根さんは約2年前にホッケーの仲間たちと「Hachinohe Club」を立ち上げ、中学生を対象にホッケーの指導をしている。
今現在は運営にホッケー以外の仲間も加わり、ゴルフやアダプティブスポーツ(障がいのある方向けの競技)等の教室も開催しているそうだ。ホッケーに問わず、様々なスポーツに取り組む子供たちの育成のため、また子どものみならず幅広い年齢層の市民の方がスポーツを楽しめる環境作りに取り組んでいる。
「ホッケーをしている子どもたちにもいつも言っているのが、色んなスポーツに挑戦してみてほしい、ということなんです。」と長根さんは言う。
冬場だけ、リンクの上だけ、と制約条件の多いホッケーだからこそ、リンクの外でどれだけ身体を鍛えられるか、運動神経を磨けるかが大事になる。そのためには、ホッケーだけではなくサッカーや野球等、様々なほかの競技に取り組む子の方が伸びも早いという。
アイスホッケーと向き合い続けてきた長根さんの目線は、スポーツに取り組む子供たち・市民に向け広がっている。
日本の、未来のホッケーについて思うこと
今後のアイスホッケーに対して考えていることを聞いてみた。
「今思っているのは、日本のアイスホッケーには解決していかなければいけない課題がたくさんある、ということです。日本よりも競技人口が少ない国でもオリンピックに出ている国もあります。そんな世界の国と追い付け追い越せとやりあえるレベルまで持っていきたい。」
その課題の1つが小学生選手の育成方法だ。アイスホッケーはその特性上、練習を出来る場所がリンクとなり、限られる。ただでさえ昔と比べると数が減ったリンクを、各地のチームが取り合っているような状況だ。少子化もあり各チームの人数は減ってきていることもあるので、練習はチームの枠を超えて行う方法を模索したり、例えば小学校低学年の子たちはチームに属さず地域として育て基本を身につけた先で所属チームを決める、といったやり方ができれば、基礎を身につける必要のある子たちをよりサポートできる上に、各チームの力を底上げできるのでは、と長根さんは考えている。
「最初から日本アイスホッケー連盟を動かすことは難しいが、まずはここ青森から変えていきたいんです」
長根さんがそう語る背景には八戸を拠点とするプロホッケーチーム「東北フリーブレイズ」の存在も大きい。少子化の流れもあり一時は減少したホッケー人口だが、氷都八戸を掲げるここ八戸で、これからのホッケーを支える人材育成に向け長根さんの挑戦が始まっている。
スポーツ一筋の人ほど、キャリアが狭まる、そんな風潮がある日本社会。今まさに悩んでいる学生へメッセージを
「自分は中学生の頃からアイスホッケーは競技人口もまだまだ少なく、選手として生きていけるのはほんの一握りのスポーツだということを理解していました。当時の時点で日本のトップクラスに入れなかった自分が、そこから這い上がることの難しさも、分かっていました。なので自分は中学生の時点で選手として生きる道でなく指導者を目指そうと決め、大学時代の練習メニューの作り方も意識してコーチから学んでいました。
でももし今、スポーツを続けるか、あきらめて社会人として仕事をするかに悩んでいる人がいるなら、私は「行けるところまで行ってみてほしい。」と伝えたいです。特にホッケーと違い裾野の広い野球やサッカー等のスポーツなら尚更です。
就職するのは極端な話、何歳になってからでも出来ます。1つのスポーツと向き合うことを経験した人間なら、掴めるチャンスがあるなら掴みたいと思うのは当然のこと。失敗してもいいし、挑戦せずに得られることなんてないですからね。それに、行けるところまで行ってみた先で、自分のように「人脈」や「機会」という形で次の道が開けることもあると思うから、迷っているなら「行けるところまで行ってみてほしい」と言いたいです。」
スポーツは、目的ではなく、手段。
取材をしてみての感想を最後に。
「小学生から社会人になるまで一貫してホッケー選手として戦い、ホッケー専門店まで出した」
そんな経歴だけを見るとよほどホッケーにのめりこんだ人生だったのかな取材の前までは想像していた。
しかし、長根さんは自ら「国体に出た」「インターハイでベスト〇だった」「最優秀選手賞をもらった」といった、アイスホッケーでの成果を話すことは一切なかった。
長根さんが語るのは、ホッケーを通じてどんな経験をして、どんな人との出会いがあり、それによってどんな風に視野が変わったのか、というお話。
きっと長根さんは、ホッケーを極め誰よりも強くなり結果を出したい、という想いもあっただろうが、それがホッケーをする目的ではなく、ホッケーを通じてこれまで積み重ねてきたような経験が得たくてここまでたどり着いたのだろうなぁと感じた。
あるスポーツに魅了され、結果を出すために努力を繰り返した、という話はよく耳にするし、それはそれで素晴らしいけれど、1つのスポーツを通じた経験を楽しみ、出会いを楽しみ、それによって自分を成長させ、視野を広げていくという生き方をしているのが長根さんなのだ。
そんな長根さんだからこそ「スポーツか」「シゴトか」という2者択一の考え方ではなく、すべてを含んだうえで今の自分があり、これからの自分の道があるのだと思えるのだろう。今後の長根さんの生き方も、楽しみだ。そして恥ずかしながら今回初めて八戸にプロのアイスホッケーチーム「フリーブレイズ」があることを知った。年末に試合があるようなので、チケットを買って見に行ってみようと思います。
◆Hockey Shop NEEDA
住所:八戸市西新井田1丁目2-19
電話:0178-20-0809
営業時間:10時~19時(水曜定休)
◆地域総合型スポーツクラブ「Hachinohe Club」
https://hachinoheclub.org/
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