Renovation Case File #1

近ごろ毎月、編集長のドラゴンに追い込みを掛けられている。

誤解のないように言っておくが、彼は理由なく他人に追い込みを掛けるような人間ではない。

いや、追い込み名人のミナミの萬田銀次郎にさえ理由はある。

原因は締め切りだ。ドラゴンは編集長としての責任を完うしているだけで、むしろ悪いのはこっちなのだ。

なかなか覚悟していたよりも、直ぐに締め切りに追われている。

締め切りもだが、常にネタ探しをしなければ直ぐに枯渇してしまう。

僕ら素人でも大変だなあと思うのに、プロの皆さんはどんなふうに日々を過ごしているんだろう。

そんなことを考えていたら、今月も締め切りが来てしまった。

本当は自分ごとは後で書こうと思っていたんだけれど、今回から困ったら小出しにリノベーション案件のことを書こうと思う。

 

僕は株式会社ノザワという会社に勤めている。

建築資材の某大手と同名だが、青森県八戸市にある今年で40年続いている会社なのだ。

塗装業者としてスタートしたが、産業廃棄物処理、解体、リフォーム、新築住宅、不動産、銭湯、ワイン事業、農業など多くの事業を展開している。(ワインなんかのことはそのうち記事にしようと思っている。)

11年前に入社した当時、メイン事業は産業廃棄物処理と塗装工事だったのだが、関連性があまり感じられなかったように思う。

当時は明確な理念がなかったのだが、会社としての統一感が感じられるようなキャッチフレーズが欲しいということで、生まれたのが「変わらないために変える」という経営理念だった。

大事なモノの本質的な価値を無くさないために、また新しい価値を見出すために、変えていこう。自分たちもより良く変わっていこう。簡単に言うとそういうことだ。

そして、理念の中で自分たちを再生産業として定めた。

廃棄物の再生、建物の再生、事業の再生、農業の再生。再生というのはサスティナブルなものだし、今の世の中にもっとも必要とされていることではないだろうか。再生を続けられる会社になって行きたいという意思表示でもあったように思う。

言葉というのは本当に力がある。会社の未来を考える上で社会的な存在価値が感じられ、より目の前がクリアになったのを覚えている。

長ったらしい説明になってしまったが、そんな中で既存の事業の社会的な価値感をもっと高めて行きたいと考え、これまでやってきたリフォームや塗装をベースにしながら、つまりはもっとまちづくりに関われる仕事をしたいと思ったのだ。

まちづくりのリノベーションもあれば、不動産物件としてのリノベーションもある。

手法も多岐にわたり、様々な可能性を引き出すことができると思う。

 

僕のリノベーションの一番目のケースは、ゆりのきビルだった。

Case File #1  ゆりのきビル再生プロジェクト

きっかけはノザワの会長がビルを知人から譲り受けたことだった。

見るからに古そうな地上4階地下2階建てのビルには、17室中4店舗のスナックが入っているだけで、初見では一切のポジティブな感情を抱くことができなかった。できるかと聞かれても答えることはできなかった。

それでもやる気になる理由があった。

実はそのビルの地下2階は20代前半の頃、先輩とともに当時人気だったラッパーのDABOを呼んでイベントを開催した場所で、当時のオーナーさんに無理を言って二日間だけ無料で貸してもらった場所だったのだ。

もう亡くなられた当時のオーナーさんはビル全体の集客のために、地下にライブハウスだとか人の集まるテナントが欲しいと、かなりの好条件を僕たちに提示してくれて、お店を始めて欲しいと熱く語っていた。

本当にお金がなかった当時の僕たちに、そんな大それたことができるはずもなく諦めたのだが、ずっと心に留まっていた場所だった。多分、もしもあの時に店をやっていたらなんて後悔に近い感情を感じ続けていたように思う。

 

ビルの退去が進んでしまった理由を調べてみると過去に風俗系の店舗が数点入居した時期があり、その際に勘違いされたくないお姉さん方が出て行ってしまったとのことだった。そりゃそうだと納得してしまった。

また、一番近い交差点はキャッチのおじさん方がウロウロしていて、男性とみるやこっちどうですかと小指を立ててくる。入居が少ないビルの暗さも相まって、なかなかの雰囲気だ。

 

勝手な思い込みかも知れないが、八戸の繁華街はミロク横丁の成功で繁華街の人の流れが変わってしまったのではないだろうか。

昔は飲みに行くといえば長横町だったのだが、今は三日町からミロク横丁を通り、六日町に出て、もっと遅い時間になってロー丁、最後に長横町となっていると思う。

もっと昔は漁港としての水揚げが日本一になったこともあり、漁師さんたちが景気良くお金を使い、今は住居とシャッターしかないようなエリアまで繁華街がずっと広がっていたらしい。

実は繁華街と言えるエリアは縮小を続けていて、現在のゆりのきビルの場所はギリギリ繁華街の位置にあり、ここで踏みとどまる意味があるように感じている。

ただでさえ長横町は店舗が減り、繁華街から駐車場のまちに変わりつつある。

他に役割りがあるのなら変わるのもいいが、解体できるビルは駐車場になり、できないビルは廃墟のように残るだけという可能性もある。

長横町全体まで行かなくても近隣くらい明るく活気があるエリアにすることができたら、そのリスクも減ると考えた。

一階の路面テナントはすぐに決まった。八戸ワイナリーの直営店VIN+(ヴァンタス)が入ることになった。

ちょうど醸造所ができるまで時間がかかるらしく、ワイン販売をしながら機運を醸成したかったとのことだった。(醸造所は2019年8月に八戸市南郷区中野農工団地に竣工。)

次にフレンチ食堂セゾンさんが入居してくれた。地元食材を活かした本格フレンチをカジュアルに食べさせてくれるお店だ。

 

この2店舗が1階に出店してくれたことはすごく勢いを与えてくれたと思う。ここからある程度、トントンとお店が決まってくれた。

中でも地下2階は、飲食店では無理なんじゃないかと思っていた。EVなしという点と湿気なんかの部分での心配があったのだ。結局は前オーナーと同じく、ライブハウスなんてどうだろうと考えていた。

知人づてに誰か知らないかとお願いする矢先、ライブハウスをやる場所を探している人がいると紹介があった。

 

細かいことは端折るが、画してLIVEHOUSE FOR MEができあがった。思い出のある場所を管理することになり、その場所にライブハウスができたことは不思議な縁を感じる出来事だったし、本当に驚いた。

 

今では時折ビルの前に若者の行列ができている時がある。

人気の若手バンドのツアーがあるとおこるそんな光景を拝むたびに、当時のオーナーさんとのやり取りが心に浮かぶのだ。

 

結局、当初の夢いっぱいリノベーション計画は描いた通りにはならなかったというか、未だ終わっていないように思う。

今でも3テナントが空いている。(4階1室、1階1室、地下1階1室)

また当初は4階にゲストハウスなんかをやって、地下2階にはライブハウスがあって、上・下で人の流れを作ろうとしていたのだが、ゲストハウスはできていない。(誰かやりたい人がいれば是非お願いしたい。)

できたこともできなかったこともあるが、人の使わなくなった不動産が良くも悪くもエリア全体に影響を与えることを思い知った。個人のものであっても公の側面が必ずあるのだ。

記憶を辿りながら書いていて、書けることと書けないことがあるのでちぐはぐなところもあるが、こんな感じの初体験だった。

次回は、また編集長に追い込みを掛けられる頃に別のリノベ案件をお伝えしたい。乞うご期待。

 

 

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